行動しなきゃ人は変われない。
過去にふけっていても何も変わらないし成長しない。
過去の行いを反省し、未来への糧にするのであれば過去を見るのいいけど、たいていの人は過去にあった出来事を後悔し、タイムマシーンのような過去に戻れるようなイベントがこないかなーと無意味な考え事をしているだけではないでしょうか?
人間の行動パターンは自分のためと人のためがあります。
皆さんはどうですかね、受験勉強というのはほとんどの場合自分のためのみです。
それでよく言われるのが自分のためこに行動することさえできないやつが人のために行動できるのかとかいう。
それに対して人間は人の目が合ってそれで初めて行動が生まれるようなパターンもあります。
ビジネスだってお金稼ぎという結果だけみれば自分のためですけども、その過程には人を楽しませる、満足させることがあってそのと対価として金銭のやりとりがあるというだけですからね。
人のために行動した結果が金になっているとも言えます。
私はね、どちらともの考えも取れると思うんですけど後者の考えのほうが強いかな。
だって人の行動って自分のためにと思っていても結局1人や2人その行動によって心やその人自身の行動が変わることって大いにあるじゃないですか。
受験勉強は高学歴のところに行けなくても困るのは自分だけ。
でも高学歴と言われる大学に行ったら周りの人たちの心情、行動って変わりますよね。
親なんてわかりやすいように喜ぶし、金も出してくれる。
合格したことによって他の人々の行動は大きく変わりますよね。
大学側、教授、大学近辺の不動産、コンビニ、交通機関。
それで一緒に勉強していたやつがいたらそいつと一緒に通わなきゃっていうのがモチベーションになることもあるし、結局目標の先のビジョンが人のためっていうのは行動の活力に大きくつながるんじゃないのかなって思うよね。、。
自分だけが得して他の人の行動に連動しないことなんて現在の社会の仕組みじゃほぼそのような状況はないですよね。
無人島で狩りをするとかその程度です。
なんか言っていることがずれているとも感じるけど。
結局人は周りの人のことを思い行動するってパターンが多いんじゃないかな。
本当に自分しか利益が出ないことに行動の活力を生み出せる人ってそれこそ相当追い詰められた、無人島で誰も頼る人もいない状況とかそういう飢饉とかの時だけじゃないですかね。
自分の行動がその後の他の人の行動に作用するというビジョンを描いて行動の活力にするって言う場面が多いのではないかな。
本題からだいぶ逸れているけど、自分の行動する活力がないってのは
人のために何かしてあげるっていうことに本気になれないってことか。
前回の後輩の件と違うじゃないかっていうけどそうだね。
自分からは積極的人のためにしようとしないけど、相手からの人のためにする行動(自分に向けられた好意)は受け流すって。
それ、自分は人の行動妨げているってことになるんじゃないか。。。
行動しなきゃ何も変わらない。
やる気は無から生み出されるものではない、やっていく中で起きるものです。
だからまず行動。家でいつもと変わらないニート生活しても変わりません。
刺激にふれないと。
ニートの人は外に一歩出てみよう。
散歩するのが難しいっていうなら靴を履いて一歩だけドアの向こうに出るだけでも。
それだけでも変わる一歩にはなるから。
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