価値観の違いだから仕方ないなどと言った使い回しで使われるこの「価値観」は実際のところ違う意味になっていて「価値観」の違いでは無いのではというお話です。
では、価値観ってなに?
あなたが言う価値観の違いとは?
と思うので言いますね。
AとBという人がいるとします。
そして2人とも「快楽を得たい」という目的があります。
ここまでは分かりますね。
問題は次、その先が別れる。
Aさんは快楽を得るための手段として「シリコンボール」を買った。
対してBさんは快楽を得るための手段として「トゲトゲボール」を買った。
シリコンボールとトゲトゲボールの定義はどうでもいいのですが前者は丸くて柔らかいもの、後者は固くて痛いもの。
このようなものを想像していただければ充分です。
ここでいう価値観の違いは「目的は同じだが、何をもってそれを達成するかの違い」
内容が違う訳ですね。
快楽を得たいという目的は同じでも柔らかいものを触ると快感な人もいれば痛いものを触れば快感な人もいるわけです。
そこで柔らかいものを触ると快感な人が痛いものを触ると快楽を得れる人に柔らかいものを触れば気持ちいいよと言ったらそれは価値観の違いが起こり、話が噛み合いません。
その価値観の違いに他の人が「こうであるべきだ!」などと干渉する必要も権利もありません。
これは分かるのではないでしょうか。
しかしここから重要。
これはなんか違うなと思う使い方をしている人がいるのです。
例えば目的は金稼ぎ、お金持ち。
それに対してある人はバイトをしようと考える、またある人は投資をしようと考える。
これは違ぇんじゃないかなと思うわけです。
なぜなら単純な「お金が沢山欲しい」という目的を達成するにはバイトよりいい完全上位互換がある訳だから。
分かりますかね?言っていること。
ここで前の例を述べると両者の価値観は相入れるものなので一致しません。
快楽の感じ方が違うので。
前の例で今回と同じような例にすると
柔らかいもので快楽を得たい人が居て、片方は赤ちゃんの肌が、片方は馬の皮膚を快楽を得るために触ろうとしています。
これはどうですか。
馬を触ろうとしている人に「いやいや!赤ちゃんの肌のほうが柔らかいから!」
このように突っ込みたくなりませんか?
その時に「いや、俺は馬の柔らかさが丁度良くて好きなんだ。」と言われたらそれは認めるしかありません。
でもこれは「価値観の違い」ではなく「好み」の違いです。
柔らかいのが好きと言うのは同じ。
でも柔らかさの度合いの好みは違う。
これはまぁどうでもいい。
私が言いたいのは単純に目的を達成したいだけなら、同じ方向のやり方でもっと上のやり方があるだろ。
それにもかかわらず断固それを認めようとしないのは愚かなのでは。
リアルではこのような同じベクトルなのに「価値観が違う」などと言われる場面があるのではないでしょうか?
にもかかわらずリアルでは矢印が同じなのに使われる。
なぜ使われるかというと、矢印の位置が違うのではなく、大きさ(長さ)が違うから。
これが起きてしまう理由は、知識の差である。
以上。
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