まず勉強が苦手な人が良く言うことがあります。
「勉強なんかしてなんの役に立つの?」
こういう小中高での英数国理社の勉強が苦手な人はなぜ勉強するのか。
なんのために勉強するのかをわかっていないため、
苦手でやりたくもないことをなぜやっているのかと疑問になりこういう、勉強なんかしても社会に出た時使わないじゃんって思い、勉強の無意味さを感じるわけでですね。
ここで勉強ができる人はこういいます。
「勉強すら出来ないやつが社会で役に立つの?」
はっきり言ってこのSNSなどで正論と言われるこの返し、全然的を得ておりません。
なぜかというと、会話になっていないため。
「勉強なんかしてなんの役に立つの?」
という問いが与えられたらそれに対する解を出すのが当然のことです。
しかし話を聞いていないのでしょうか、質問に質問をしています。
「勉強なんかしてなんの役に立つの?」
これの正確な返しは社会で勉強がどう役立つのかを教えるということですよね?
違いますか?
これを出来ていない。
「ピーマン食べて何かいいことあるの?」という問いに対して
「ピーマンすら食べれない人間にいいことなんて起きるの?」
と言っているようなものです。
これに対しては好き嫌いはしちゃダメとか言う人もいますがこれも
質問と答えが一致していません。
なぜダメかというのもこういう人は言えませんからね。
正確な答えとしてはピーマンは栄養があるので食べると体にいい。
健康になるとかでしょうか。
食事に対してはまともに返せる人はいると思います。
しかし勉強に対しての問いに関してはまともに答えていた人は
成功している人間以外でみたことがありません。
ましてやSNSなどでは一切ないです。
勉強の話に戻りますが、質問者の「社会で勉強がどう役立つのか教えて」という問いにまともに答えることができない人間。
質問に質問を返す愚の骨頂を犯してしまう人間。
これ、勉強ができている人間がこんなことしますかね?
勉強できる人間ならば質問者の問いにしたいして素直に「社会で勉強がどう役立つのか」を答えるはずです。
しかしやつらは違う。
そう、やつらは自分のことを言っているわけです。
質問に対してまともに答えることができない→勉強ができない→その人曰く勉強できないと社会に役立たない→あなたは無能。
頭が悪いから質問者の「社会で勉強がどう役立つのか」を答えることができないんでしょうね。
これは日本教育でそういうことを教えていないというも悪いかもしれませんが、「社会で勉強がどう役立つのか」という疑問を持つのは至極当然なことです。
むしろ、どう役に立つのかもわからず、年上の人に押し付けられるがままに今までなんのためにしていたのか分からないけど勉強していたという人間のほうが欠陥がありますよ。
そういう人は考える力を持っていない。
与えられるがままに動く人間。自分で考えることができない。
一生アルバイトか仕事ではなく「作業」を行う人間となります。
むかしはそれでもよかったかもしれませんが、今は違います。
今はロボットやAIが人間に代わって「作業」をするからです。
だから学校でも考える力が求められているでしょう?
にもかかわらず学校が求めているものに気づかず与えられるがままに勉強していた、自称勉強ができる人は本当に勉強ができるというのか?
考える力を持っているのか?
社会で役に立つのか?
僕は聖人ではないので自分以外の人はどうでもいいです。
このような人たちは時代の変化に対応できず滅びるだけなので。
0 件のコメント:
コメントを投稿