そもそも常識なんて存在するはずがない。
「一般的」「普通」だのちょっと考えれば地域や年齢によって
多種多様な考えや仕来りがある。
それらの違いがあるのに一括りに「常識」というものを作り上げることなんて不可能。
だが、常識という言葉を使っている人がいるのでその前提を認めたうえで
常識と言うものは何かというと、地域や年齢によって違うもの。
常識はどこでも同じ、みんな持っている感覚や知識だと思っている人は非常識だ。
常識は場所や人によって違うということを知っている人が本当の常識人。
この「常識」という言葉は本当に日本人らしさが出ている。
英語ではcommon senseなどと訳されれることが多いのだろうが、厳密には違う。
日本の常識というのは非常に色々な場面で使われるがcommon senseは人間としての倫理的、道徳的な判断能力のことを指す。
だから日本で就活生がわけわからん常識テストみたいなのをやっているが、そこでの「常識」という知識問題、例えば東京オリンピックは何年に開催されたかなどの知識問題はcommon senseには含まれない。
センスは感覚と覚えている人が多いと思います、その感覚という意味があるなら知識の常識は含まれないということは分かると思います。
common senseは良識と訳されることもあります。
その良識というのは人として備わっているべき倫理的、道徳的判断と言うわけですね。
日本人は同調圧力に弱い。
震災が起きても配給には列を作り緊急時にもかかわらず割って入る人はいない。
優先席には基本的に座らない。
こういうことは日本人の人間味の良さだと思う人がいるのかもしれないが
全然違う。
これはもし自分がその行動(配給に割って入る、優先席に座る)をしてしまったら周りの目が怖いからしないだけである。
つまるところ、同調圧力に屈してるだけだ。
優先席は優先される人が来たら優先して座らせてくださいという席、
別に混んでいたら座らなければいいだけで、空いてたら誰でもどこでも座って構わない。
本来誰にも咎められることではない。
しかし皆なぜか気にして座らない。
これは周りを気にしているというのもあるが、
周りを気にしている自分を気にしているのが大きい。
なぜか、
日本には優先席は座ってはいけない雰囲気がある。
しかし本来そうではない。
なら自分は優先席はどういったものなのか知っているため
周りが間違った認識をしているだけに過ぎず、自分の道理を貫けばいい。
だが、しない。
それは自分が周りを気にしているに他ならない。
自分が正しいなら優先席に堂々と座ればいいだけの話である。
しかしそれができない日本人は、周りの同調圧力に負けている。
配給もそうだ。
自分さえと思っていれば緊急事態だし、横取りすればいい。
しかし周りの目を気にする自分がいるからそれができない。
虐めと同じ原理。
仲間外れになりたくないから虐められている人を庇うことをしない。
それは弱い人間であるから。
弱いから周りに紛れて目立とうしない。
だからむしろ周りの常識を無視している優先席に座る人間のほうが強い。
配給を割って入るのは倫理的には悪いのかもしれないが、本当の緊急事態になったとき自分の身を守るためには配給に割って入るなどのリスクを取らなければならない。
そのため常識に従っている人間よりか反している人間のほうが成功者になる。
みんなが右に進んでいる時に左に進んだ人がいるからこそ世紀の大発明が生まれる。
人と同じことをしてもそれはただの劣化でしかない。
そしてこの同調圧力に弱い日本人を巧みに使ったビジネスが「常識」だ。
例えば男なら○○(車、時計、家)を持つべきなどというCMを打ってその商品にブランドを付ける。
それに洗脳された日本人は男なら○○の時計持ってて当たり前だよな~となり、同調圧力に負け、持っていないことに劣等感を覚え、買ってしまう。
仮に常識なるものが本当にあったとしても、それを個人の一般人が語れるわけがない。
お前は日本全国民の統計を取ったのかというお話だ。
じゃあなぜそれが言えるのかといったら、企業や国家に洗脳されているから。
まともな頭を持っていたらある「情報」が流れたらその「流し手」とその「目的」を探り誰が何のために「情報」を流しているのかを探る。
しかし「常識」というものに弱い日本人は盲目的にその「情報」だけを信じてしまう。
誰が何のために流した情報か、と言うことも知らずに・・・
なぜそれがあるのかというのを紐解いたら、必ずそのことがあると得をしている人間や組織がある。
それを見つけたらそのことは空虚なことだと分かるだろう。
常識というものは組織や人が利益を産もうとする時に、国民に洗脳をかけたその産物である。
以上。
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